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みんなの「復興」ブログ


相馬野馬追 2013

2013/08/02 03:05
「相馬野馬追」。
福島県浜通り北部、かつて相馬中村藩だった地域の伝統行事で、戦国時代さながらの騎馬武者の姿が見られることでよく知られています。国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
古くは平将門が軍事訓練として下総国で行ったのがはじめとされ、将門の子孫にあたる相馬氏が1323年、奥州に移った際にこの地にもたらされ、以来700年近く、連綿と受け継がれてきました。現在の形になったのは明治以降のことだそうです。

一昨年の東日本大震災・大津波、そして福島第一原子力発電所事故により、この地域は甚大な被害を受けました。未だに復興の道筋さえ見えていない所も多いのが現状です。
しかし震災の年の2011年、規模は大幅に縮小したものの「野馬追」は開催され、昨年からはほぼ以前の通りの規模で開催されています。

3日間にわたって開催される「野馬追」。今年は7月27日(土)、28日(日)、29日(月)に行われました。私は、28日の「本祭」を見に行ってきました。呼び物の「お行列」「甲冑競馬」「神旗争奪戦」が行われる日です。


「お行列」とは、集結した騎馬武者が、その後の行事を行う雲雀ヶ原祭場地へ繰り出す列のこと。騎馬武者が沿道から間近に見られるとあって、呼び物の一つとなっています。
ただ「相馬野馬追」はそれ自体が神事で、「お行列」も殿様が祭場地に向かう神聖なものとされているため、前を横切ったり、建物の2階から見下ろすようなことをすると大変な失礼にあたるとされています。また沿道から普通にカメラを向ける分には特に注意されませんが、馬の前に出たり、フラッシュをたいたりすると馬が興奮して暴れ出す可能性があって危険なので、絶対にしないようにとアナウンスされます。


出発の知らせから約10分。いよいよ「お行列」が通ります。

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「先頭御先乗」の騎馬武者。400騎を越える軍勢の先頭。凄いプレッシャーだったでしょうが、それを感じさせず、お役目を果たしていました。

堂々とした騎馬武者たちが続きます。
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凜々しい若武者。
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「相馬野馬追」は男の祭りとして知られますが、20歳以下・未婚であれば女性の騎馬武者も参加できます。
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子供の武者も。最年少は5歳なのだそうです。
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この写真、ズームアップしていません。馬がこんな目の前に来ることが何度かありました。
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貫禄ある武者っぷり。
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こちらは荒武者ですね。
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基本的には歩いて進む「お行列」ですが、前後の連絡などのため、早駆けする武者もいます。
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ビシッと決まってますね。
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少女武者も。
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旧相馬中村藩は、北郷・宇多郷・中郷・小高郷・標葉(シネハ)郷の5つの「郷」に分けられていました。このうち標葉郷は今の双葉町・大熊町・浪江町にあたります。原発事故で今も避難を余儀なくされている地域で、多くの武者は避難先から駆けつけての参加です。その標葉郷の武者達がやってきました。
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標葉郷の少女武者。
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標葉郷、堂々の歩み。
さすがに参加騎馬数は少なかったのですが、皆、見事な武者っぷりでした。
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総大将・相馬陽胤(キヨタネ)公です。相馬家当主・相馬和胤(カズタネ)公の御次男。まだ若い総大将です。
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少年少女の武者達。
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馬が滑らないよう、マンホールが覆われていました。こういう地味な作業が勇壮な「相馬野馬追」を支えています。
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「お行列」はやがて、雲雀ヶ原祭場地に到達。見物客もそちらに移動します。

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一連の行事に先立ち、相馬の代表的な民謡「相馬流れ山踊り」が披露されました。
「流れ山」とは、千葉県の流山のこと。相馬家の先祖が東北に来る前、下総国・流山を領地としていたことに由来するのだそうです。踊り手は各郷が輪番で出しています。


そしていよいよ、甲冑競馬が始まります。
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今年は席の位置の関係であまり良い写真が撮れなかったのですが、雰囲気だけでもお伝えできればと思います。それぞれの武者が背負っているのは先祖伝来の旗差物。これが風を切る音が、野馬追の醍醐味ともいわれます。

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これは「マスコミが書かない(笑)相馬野馬追」。乗り手が落馬して放れ馬となった馬が競馬コースを逆走。全力で走る馬をなかなか止めることができず、1周1000mのコースを、たぶん3〜4周していました。もちろん競技は中断。この後、軍師(競技を取り仕切る役目の人)から各武者に、「腹帯をしっかり締めて競技に出るように!」とお叱りのアナウンスが…。
力強い一方で非常に繊細な生き物である馬が400頭以上集まる行事。運営と安全確保は並大抵のことではありません。


甲冑競馬の後は、最大の呼び物、「神旗争奪戦」。
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花火で空中に打ち上げられる神社の御神旗を騎馬武者が奪い合う競技です。
神旗の行方を目で追いながら一早く落下点に馬を走らせ、空から降りてくる神旗を他の武者と争いながら乗馬用の鞭で取るという、総合的な乗馬技術が求められる競技で、神旗を取ることは大変な名誉とされています。

神旗を取った武者は、祭場地正面にある本陣山で褒美を受け取るのですが、そこに行くためには観覧席を突っ切るように作られた「羊腸(ヨウチョウ)の坂」を登らなければなりません。この坂、長くはないのですが急な上に「羊腸」の名の通り曲がりくねっていて、これを駆け上がるのにもかなりの技術を要します。
坂を駆け上がる武者たち。
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さて、神旗争奪戦が終わると、騎馬武者たちは一度、それぞれ「羊腸の坂」を登り、そして降りてきます。
3日目の「野馬懸」の神事が残っているとはいえ、「本祭」を終えた武者たちはリラックスムード。
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麗しき女武者には、観客の若者から「こっち向いて〜」などと声がかかっていました。
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この子、いいキャラしてました。
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この雲雀ヶ原祭場地、震災の年には原発避難区域に入っていて、使えなかったのだそうです。ようやく使えるようになり、甲冑競馬や神旗争奪戦が行えるようになったのが去年。盛大な行事も原発事故で大きな影響を受けていたことを思うと、これからも無事開催を続けられるよう、願わずにはおれません。




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本祭が終わって少し時間があったので、祭場地近くにある南相馬市博物館の特別展「野馬追の今と昔」に行ってみました。
江戸時代の野馬追の様子を描いた史料などが多数展示されていましたが、印象的だったのがこれ。

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野馬追は南相馬市だけでなく、旧相馬領内の各自治体で、それぞれ独自のものも行われてきました。原発事故で今でも立ち入ることができない双葉・大熊・浪江の各町では、この伝統行事も途切れてしまったのだそうです。よく知られた「相馬野馬追」は復活しましたが、こちらは復活の目処が立っていません。

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「相馬野馬追」は勇壮な祭りで、猛々しさのみが強調されがちです。確かに元々は軍事訓練として始まった行事ですが、江戸時代からの野馬追は、藩主が神社に馬を奉納し、領内の平和と繁栄を祈る儀式としての意味合いを濃くしてきました。

「平和と繁栄を祈る」。震災からの復興も思うようには進まず、原発事故収束も先が見えない今、「相馬野馬追」に込められたこの願いは、より強く意識されなければならないでしょう。


威風堂々の「お行列」、勇猛果敢な「甲冑競馬」や「神旗争奪戦」。「戦国絵巻」ともいわれる「相馬野馬追」。しかし実は、相馬地方の平和と繁栄があって、初めて実現できるのです。
野馬追は非常に迫力ある祭りですから、見て楽しむのはもちろん地元の方も大歓迎でしょう。でもそれだけでなく、祭りに込められたこの願いを、相馬に住む方々とともにしていきたい、と思います。

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aveさんコンサート@福島

2012/11/20 16:22
♪いつか君がこの町で暮らしたいと
言ってくれたら幸せだろう
君の故郷(ふるさと)になれるよう
まずは僕らが動きだそう♪

aveさん「♪福の歌〜頑張っぺversion」の一節です。
元の「福の歌」は震災前に作られた曲ですが、震災の後、歌詞を変えた「〜頑張っぺversion」が歌われるようになりました。

全国的にはあまり知名度がありませんが、aveさんは地元・福島を拠点として活動するアーティストで、福島では「『猪苗代湖ズ』か、aveか」といわれる存在です。
実際、昨年末に地元ラジオ局が行った調査では、震災後の福島を最も元気づけた歌として、この「♪福の歌」が、「♪I love you & I need you ふくしま」を抑えて支持されていたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=M_U1WB7fq7o
(「♪福の歌」。こちらの「YouTube」では歌詞も出ます。)

そのaveさんのコンサートが16日、福島市公会堂で行われました。


東京から福島。新幹線ならすぐですが、高い。夜行バスは安いけれど満席で予約取れず。結局、行きは各駅停車の旅、でした。
トータルの料金はバスとほぼ同じ。ただ、乗り継ぎの連続になるので結構面倒でした。
実際、電車が遅れた影響で、黒磯駅で予定の乗り継ぎが出来ず、1時間近く足止めとなるハプニングも。

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鉄ちゃんではないのですが、予想外に時間が余ってしまったので、その辺の電気機関車を撮ってみました。(^^;)

黒磯を出ると、すぐ福島県。
東北本線とはいっても、ずいぶん山の中を走っているんだなぁ、というのが率直な印象でした。写真はないのですが、車窓から見える山や谷は木の葉も色づき、いかにも日本の秋というたたずまいでした。風景だけ見ていると、震災も原発事故もずっと遠い世界のことに思えてきて、不思議な感覚でした。

ボタンを押さないと開かない電車のドア、路線バスのように整理券を取って乗り降りするシステムにカルチャーショックを受けながらも、何とか福島に到着。

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コンサートにはまだ時間があったので、ちょっと歩いてみました。

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福島駅前の(写真上から)花時計・芭蕉と曾良の像・古関裕而の像。

短時間歩いただけですが、「意外に普通の街じゃん?」と思いました。
さすがに東京ほど賑やかではないけれど、繁華街では普通にクリスマスセールが行われているし、ボジョレー・ヌーヴォーも売られていました。マツキヨとかBOOKOFFとかも営業しているし、人通りも多かったようです。
そして、こんなものまで!

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沖縄恐るべし!(^^;)


ただ、公会堂近くにかなり大きな公園があったのですが、そこで遊ぶ子供が、公園の広さに比べて少ないような感じもしました。ちょっと見ただけなので何ともいえませんが、天気はいいのに子供が思うように外で遊べないとすれば、やはり深刻な問題といわざるをえません。


そうこうしているうちに、コンサート開場。

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福島市公会堂は大きなホールで、観客は500人近く来場していたと思います。
年配の方から、小さな子供を連れた家族連れまで、まさに老若男女、幅広い方が来られていました。

「ave」とは、Acoustic Variety Entertainment の略。実際、とても優れたエンターテイナーで、aveさんのライブは、誰にとってもまずは「楽しい」ものとなります。
アーティストとしての力量も凄いとしかいいようがなく、そのパワー溢れる歌声は聴く者の心身を震わさずにはおきません。
元々はラブソングを中心としたアコースティックギター弾き語りアーティストでしたが、福島市の歌として「福の歌」などを歌っていて、それが震災後、福島の応援ソングとなりました。
今ではaveさんといえば福島応援ソング、というイメージすらありますが、それは彼が元々エンターテイナーとしてもアーティストとしても抜群の存在だったからこそ、多くの人に支持されるといえます。

コンサートでは、そんなaveさんの力が存分に発揮されていました。楽しく、鋭く、そして最後には観客を元気にする、これこそ「音楽」であり「ライブ」なんだ、と感じました。
東京では何度かライブに伺ったことがありますが、福島で聴くとさらに力が増した感じ。観客の共鳴も、やはり東京の何倍もあったようでした。

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アンコールのラストの曲だけ、撮影可になりました。
ゲスト出演の藤田悠治さん、白鳥吏南(リナ)さんも素晴らしいアーティストでした。特に藤田さんは、タイトルのない新曲を歌ったのですがこれが強烈でした。福島まで行って、東京開催イベントのチケットを買ってしまった程です。(^^;)(^^;)

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aveさんも出演されます。なかなか、物凄いメンバーです。(((o(*゚▽゚*)o)))


今回、実際に福島に行ってみて、日帰りの短時間滞在ではありましたが、やっぱり行ってよかったと思っています。南相馬といわきには行きましたが、福島市は初めてでした。ちなみに帰りは、さすがに泊まるよりは安いので、新幹線使いました。(^^;)
コンサートもそうですが、福島という街に足を運んでみたことで、やはり何か、感じ方が変わったように思えるのです。

ただ、そう簡単に行けないという方が多いのもよくわかります。
そんな方のために、aveさんは頻繁にツアーを行い、各都市で福島の応援ソングを歌っています。
詳しくは公式サイトをご覧下さい。
http://www.ave-songs.com/

「もういいよ」といわれることもあるそうですが、それでも歌い続けるとaveさんはMCで語っておられました。流行り廃りの問題ではなく、震災と原発事故の傷が癒えるためにはこれからも長い時間がかかります。そして福島では、全く特別ではない普通の人たちが、普通に日常の生活しながら、なおかつその大きな傷に向かい合っています。そういったことを、aveさんは歌っていかれることと思っています。
機会ありましたら、ぜひお聴きになってみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=M_U1WB7fq7o (再度、歌詞も出るYouTubeです。)
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「琉球の音楽」@福島県いわき市

2012/10/13 03:22
福島県いわき市。

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東日本大震災で大きな被害を被り、原子力発電所事故の影響は現在も深刻です。ただJR駅周辺はそれほど大きな被害の跡は見られません。街を歩いた感覚では、大きくはないけれど文化を大切にしている都市、という印象でした。

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これは公園内の彫刻ですが、こういうのが普通の道に普通に置いてあります。

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中国・撫順市とも友好都市なのだそうです。


そのいわき市で、「琉球の音楽」というイベントが10月6日、開かれました。

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沖縄といわき、遠く離れているし、一見何の関わりもないように思われますが、実は400年の時を超えたつながりがあるのです。

戦国から江戸初期、浄土宗の高僧で、袋中(タイチュウ・1552〜1639)という人物がいました。袋中は学識高い僧で、それをさらに磨こうと中国(当時の明)への留学を志し、ちょうど江戸開府と同年の1603年、当時の琉球王国に至ります。しかしこの頃、豊臣秀吉の朝鮮出兵の影響で日明関係はほぼ断絶しており、結局袋中の入国は認められず、3年後、帰国することとなります。
しかし琉球滞在中、袋中はその高い学識と人徳から、国王をはじめ政府高官から非常な尊敬を受け、彼のために寺も建てられます。
一方で袋中は、琉球で盆の行事は行われているのに盆踊りがないことを残念に思い、郷里である岩城地方(現在のいわき市)に伝わる「じゃんがら」をもとにして、新たな舞踊を考案しました。これが、今では沖縄と言えばすぐに連想される「エイサー」の原型だと言われています。


そうした縁もあってか、一般に東日本大震災への関心は西に行くほど低くなるといわれますが、沖縄では高い関心を集めています。福島からの避難者を手厚く迎え入れている他、沖縄のアーティストも、地理的に遠いにも関わらず、何度も福島を訪れています。


6日のイベント「琉球の音楽」は、「いわき芸術文化交流館アリオス」で開催されました。会場前は公園になっていて、少し早く着いたのでそこで待っていたら、何と、エイサーが始まりました。

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地元いわき市のチームで、「美(チュ)ら てぃーだ」(美しい太陽、という意味)というのだそうです。
人数も多いとはいえず、本場沖縄はもとより、だいたい20年くらいの歴史を持つ関東のエイサー各チームに比べても、迫力があるとはいえません。でも、袋中上人の故郷であるいわきに、彼が琉球に伝えたエイサーが400年の時を超えて戻ってきて、地元の人たちによって演じられていることには感動しました。未曾有の災害に見舞われた故郷を見かねた袋中が、エイサーを沖縄から呼び戻したのだ、と思えてなりませんでした。
(※公式サイトがないようなので確認できませんが、いわき「美らてぃーだ」は2008年には活動を初めていたようです。しかし震災によって練習場が被災、メンバーも避難するなどして中断に追い込まれ、半年たった11年9月にようやく再開できたのだそうです。)

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こんな可愛い踊り手も…。この子たちが大人になる頃には、チームもきっと大きく力強くなっていることでしょう。このエイサー、後で会場内でも演舞されました。


さて、「琉球の音楽」。今まで言った「400年の絆」のことは一般には広く知られておらず、果たしてどれだけの観客が集まるかと思っていたのですが、500〜600人規模のキャパと思われる会場は満席。出演者のネームバリューからして、私のように他所から来る人も多かったでしょうが、やはり地元の方が大半だったようです。これを機に、福島と沖縄の絆が更に固くなれば、と思います。

オープニングアクトで登場した「サンサナー」は女性3人組。沖縄の伝統音楽と舞踊にポップスをミックスした、楽しく元気いっぱいのユニットです。「サンサナー」とは沖縄の言葉で「蝉」という意味なのですが、「にぎやかな娘たち」という意味もあるそうです。その名の通り、はち切れんばかりの若さ溢れるステージ。最年少ながら三線・メインヴォーカルを務めるユリエさんの歌声がとても良く響きます。これからの飛躍に期待、です。
http://www.sansanar.com/home.html (「サンサナー」公式サイト)

続いて古謝美佐子さん。沖縄音楽に詳しい方なら「エッ?!」と思われるでしょうが、ここで登場です。多くのアーティストがカヴァーした「童神(ワラビガミ)」の作者として有名。沖縄音楽の、いわば大御所といえます。
58歳という年齢、歌声も透き通っているとはいえないのですが、それでも何というか、神懸かり的な凄さは古謝さんにしかできないものです。歌い出した瞬間、雷に打たれたようになり、歌っていくうちに自然と涙か出てくるような感覚は、文章では伝えられません。CDでもなかなか伝わらないので、沖縄に限らず音楽に関心のある方は、ぜひ一度古謝さんの唄を生でお聴きになってみてください。
http://www.kojamisako.com/ (古謝美佐子さん公式サイト)

次に下地勇さんが登場。下地さんもかなりのネームバリューがあるアーティストなのですが、「どうして(古謝さんのような)大御所が僕の前なんだ…」とブツブツ…。(^^;)
下地さんは宮古島の出身。歌詞はすべて宮古の言葉で書くというこだわりがありますが、曲調の方はあまり沖縄を感じさせるものではなく、ブルースを中心にレゲエ・フォルクローレなど多彩な音楽が特徴です。
今回のステージではフォークロックのような選曲が多かったようです。小さな者が大きな力に立ち向かって、自らの道を切り開いていく楽曲が多く、被災地を勇気づけるステージでした。
下地さん、10月20日にはデビュー10周年のイベントを宮古島で行います。
http://isamu.arize.jp/ (下地勇さん公式サイト)

トリは「パーシャクラブ」。新良幸人(アラ ユキト)さんを中心に、沖縄音楽と様々なジャンルの洋楽を融合した、独自の世界を展開するバンドです。その楽曲は多方面で使われていることから、「パーシャ」の名前は知らなくても楽曲は知っているという人も多く、「あ、これってパーシャの曲だったのか」ということもしばしばです。
新良さんの唄と三線には、魂が籠もっている、というか、強力な何かが宿っているような感じです。沖縄の力をいわきに持ってきてくれたようでした。
http://www.cosmos.ne.jp/~parsha/index.html (「パーシャクラブ」公式サイト)


最後に出演者全員がステージへ。そしてカチャーシーだったのですが、お客さんもだいたいの人が出来ていました。いわきにも意外と沖縄フリークが多いのかもしれません。
震災復興はまだ始まったばかりと言ってもよく、前途は多難が予想されます。しかし、遠く沖縄からでも、福島を応援しようとする人は多数います。その力が復興の後押しになることを願うとともに、直接の後背地である関東の人間として、ちょっとは見習わないといけない、とも感じたイベントでした。


今回会場となった「いわきアリオス」では、今後も興味深いイベントが多数行われます。
http://iwaki-alios.jp/index.html (「いわき芸術文化交流館アリオス」公式サイト)

また10月20日(土)・21日(日)両日、「いわき街なかコンサート」というイベントが開催されます。私の知っているアーティストでは、庄野真代さん、いわさききょうこさん、アカペラグループ「CUBIC」が出演します。
http://www.iwaki-machicon.com/index.html (「いわき街なかコンサート」公式サイト)

いわき市は、東京からだと日帰りも充分可能な距離です。ハワイアンリゾートとか、アクアマリンふくしまなど、有名な観光スポットもあります。津波の跡を見たりしなくとも、自分で足を運んでみるとやっぱり意識は変わってきます。被災地といって身構えず、ともかく一度、行ってみてはいかがでしょうか。

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福島米 & 牛タン

2012/09/12 01:33
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福島県産、今年の新米です。
産地は本宮(モトミヤ)市。郡山市の北、二本松市の南にあります。
http://www.city.motomiya.lg.jp/ (本宮市公式サイト)

普通の米店では、会津産は売っているのですが、中通・浜通産は売っていないので、江戸川区葛西にある「ふくしま市場」に行って買ってきました。
http://www.tif.ne.jp/bussan/fukushima/ (「ふくしま市場」公式サイト)

「ふくしま市場」への行き方については、コチラもご覧下さい。
http://cambrian.at.webry.info/201103/article_15.html


炊いて食べてみましたが、ほんのり甘みがあって、ご飯だけでもいけそうな感じです。



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こちらの牛タンとソーセージは南相馬市産。フライパンで軽く炒めてから食べるようにとのことだったので、牛タンの方を炒めたのがコチラ。

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これがまあ、ン旨い!!ちょっと量が多くて、2食に分けて食べようと思っていたのですが、結局全部ペロッといってしまいました。
「福相食品工業」という会社が作っているのだそうですが、この会社も震災で工場の移転・縮小を余儀なくされながら、それでも生産を続けているそうです。会社のサイトはないのですが、コチラが参考になります。
http://www.fukushima-message.com/Producer/?producer_id=39

福島のことを他人事と捉えることは、私にはできません。今もなお、故郷に帰れず避難生活を強いられている方々のことを思えば本当にわずかなことしかできず、申し訳ない気持ちで一杯なのですが、出来る限りのことはしていきたいと思っています。

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チャリティコンサート「LOVE ]」

2012/09/11 18:52
「みんなと合わせてましたね。いや、みんなが合わせてくれたんですか?(笑)」
「みんなで、合わせたんです。」


チャリティコンサート「LOVE ]」。ジャズヴォーカリストでヴォイストレーナーとしても活躍されている安ますみ先生がプロデュースし、その門下生のシンガーや親しいミュージシャンが集まって創り上げるイベントです。「]」は「エックス」ではなくてローマ数字の「10」。毎年行われ、今年で10回目を迎えます。9日、「ルーテル市ヶ谷教会」で開かれました。(収益金は「日本福音ルーテル社団」を通じて、震災でご両親を亡くした子供たちの奨学金として用いられます。)
私は、門下生の一人で台湾と日本のハーフっ娘シンガーソングライター・洸美(ヒロミ)さんのご縁で行ってきました。


洸美さんの天真爛漫・天衣無縫は日本の音楽業界で知らない人はいない、といったところ。(あ、そのくらい有名になってほしいという願望込みです。(^^;))
まあとにかく、普段はマイペースな人なのですが、その洸美さんが、チームワークが命のコーラスを、まるでそれこそ10年も一緒にやっているコーラスグループのようにハモっているので、ソロしか見たことのない身としてはちょっとびっくり。
で、終了後に冒頭のやりとりになったのですが、洸美さんの答えに、このコンサートのあり方が凝縮されているような気がしました。

このコンサートのために、参加メンバーは週2回、1回5時間の練習を、5ヶ月近くにわたってやってきたそうです。メンバーの中にプロもいればアマチュアもいて、バイトしながらデビューを目指している人もいます。それぞれ自分の活動・仕事を抱えつつ、しかもチャリティでお金は全く入ってこない訳ですから、さぞかし大変だったろうと思うのです。
でも洸美さんは本番直前のツイッターで、「チャリハ」(チャリティのリハーサルのこと)が終わってしまうのは寂しい、とつぶやいていました。よほど「チャリハ」が楽しかったようです。

安先生はMCで、「誰かが出来るようになったらみんなで喜び、出来なければみんなで協力しあって」このコンサートを創ってきたと言っておられました。
みんなで、一つのものを創ってきた喜びが、洸美さんからも、他のメンバーの皆さんからも、そして安先生ご自身からも、あふれ出ているようでした。そのあふれ出た喜びが客席にも伝わって、とてもHAPPYなコンサートとなりました。
安先生がおっしゃっていた人と人との結びつき。大事だ大事だと言いつつ、我々は結構、それを信じずにないがしろにしがちです。でも、やっぱり人を信じてつながりを大切にしていこう。ステージから流れてくる喜びを受け止めて、そう思った人は多いと思います。
チャリティというと「気の毒な人のためにしてやっている」というイメージが根強くありますが、このコンサートは全く違いました。得がたい経験をしてHAPPYになったのは、むしろ歌い手の方であり、さらに言うなら聴衆である我々の方だった、といえます。

このコンサートは来年も、おそらく同時期に行われるでしょう。今回、私が洸美さんを通じて申し込んだ時にはすでに満席で、立ち見でもいい、ということで予約をいれて頂きました。実際は教会の方で補助椅子を出して下さったので座って見ることができましたが、次回は本当に満員札止めになる可能性大です。色々なご縁で集まったお客さんだと思いますが、早めにチェックして、お申し込みされることをお勧めします。


洸美さんは、これまでもライブの度ごとにスケールが大きくなる、油断ならないアーティストでしたが、今度の体験を経て、これからもっと油断ならなくなりそうです。
大きな舞台に出てしまうとなかなか直接は話せなくなります。今のうちにチェックしておきましょう!!
http://hiromi629.jugem.jp/ (洸美さん公式サイト)


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この「LOVE ]」については、洸美さんのプロデューサー兼サポートピアニスト・田中どぼん俊充さんが、その視点からブログを書いておられます。
http://ameblo.jp/dobon-tanaka/entry-11351705726.html (田中どぼん俊充さんブログ)


P.S. 驚いたことに、コンサートにドラマーとして参加していらした佐々木敬史さん、現在ヴォーカルの方が乳がん闘病中のため一時活動休止中のバンド「Scarlet Medusa」の「熊」さんその人でした。やっぱり世間は狭いというか、これもご縁なのでしょう。
http://www.scarletmedusa.com/ (「Scarlet Medusa」公式サイト)
ヴォーカル・chibiさんがステージにもどってきたら、ぜひ洸美さんと共演してほしいです。o(^▽^)o
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ふくしまへおくる

2012/08/20 22:48
福島の現実はやっぱり重い。
避難されている方のお話を聞いて、そう思わざるを得ませんでした。

(株)ディストル・ミュージックエンターテイメント主催、「ふくしまへおくる」。
19日、川崎の「産業振興会館」という所で開かれました。

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ライブ中心のイベントでしたが、途中、福島県富岡町から千葉県内に避難されている女性に、同社代表取締役・生明尚記(アザミ ナオキ)さんがお話を聞くというコーナーが設けられました。


地震で家の中がメチャメチャになったけれど、それを片付けるまもなく避難命令が出たこと。
2〜3日の避難といわれ、身の回りの物だけ持って避難したこと。
震災前は自営で米屋さんを経営していたこと。避難所の状況を見てご主人が商品の米を取りに戻り、約300sを避難所に提供したこと。
避難先は10カ所変わり、家の事情でご主人とはほとんど別行動。今ようやく千葉県内のアパートに家族で暮らしていること。
ずっと自営業だったことから、ご主人もご本人もアルバイトをして、東電からの補償金と併せて生活していること。
2ヶ月に1回、国が指定した日に、防護服を着て自宅に帰っていること。
自宅の窓がこじ開けられ、宝石類などが盗まれていたこと。
一時帰宅の時に支給される機器で計ると確かに放射線量は高く、屋外の物はたとえ微量の土でも「放射性廃棄物」となること。
息子さんが10歳になった時にもらった手紙を大切にしていたので、一時帰宅のたびに探しているが見つかっていないこと。
40年は帰れないと言われているが、その頃には今小学生の子供も50歳くらいになっており、先行きが見えないこと。


30分くらいのお話でした。記憶のみですので漏れていることもあると思いますが、だいたいこのようなことを話して下さいました。


ステージで話をされたのはご本人だけでしたが、会場にはご家族と来ておられました。たまたま席が近くだったのですが、ご本人もご家族も全く普通の方としか見えず、呼ばれてステージに上がるまでは福島支援のために来場した一般客だと思い込んでいました。
原発事故で避難してきた、というと何か特別な人のように思ってしまいがちですが、実は全く普通の人で、事故が起こる前は、今まさに私たちが暮らしているのと全然変わりなく生活していた、ということを、まず出発点にしなければ、と思いました。
そして、報道があまりされなくなったからといって問題が終わった訳ではなく、むしろこれからだということも忘れてはならないでしょう。避難が済んだら事は終わりと考えるのであれば、それはやっぱり、違います。

とはいえ、向き合えばやっぱり重すぎる問題、特に放射能など、一般人にはどうしようもありません。ではどうすれば、という問いへの答えは一つではないけれど、結局やれることをやれる方法でやっていくしかない、と考える人は多いと思います。

ミュージシャンならば音楽をやって、それを支援に繋げる。
そうした想いから、「vallote」kaho*さん、「WEFUNK」「エソラビト」の4組のアーティストがこの企画に参加しました。


「vallote」(ヴァローテ)はビオラ・加治友理さんとコントラバス・千木良高ウんのクラシック・ユニット。どうしても敷居が高くなりがちなクラシック音楽を親しみやすいものに、というテーマで活動しています。ピアノとカホンのサポートで、よく知られた曲から隠れた名曲まで、POPに演奏していました。ジャグラーのKAZUHOさんとのコラボも斬新でした。

kaho*さんは女性ソロでピアノ弾き語り。実は先日、横浜の小さなライブハウスで聴いたことがあるのですが、その時より歌声の響きが格段に良く、正直びっくりしました。この日の会場は結構広いホールだったのですが、そういう所に向いたアーティストなのかもしれません。背伸びしない歌詞を広がりのある歌声で歌うのが魅力です。
http://www.kaho-rururu.com/

「WEFUNK」は、本来は大きなアーティスト集団のようです。今回はギターとカホン、そして前半のヴォーカルに総合司会も務めたまさはるさん、後半にchihiroさんを迎え、最後にはダンサーも加えてのライブでした。まさはるさんは「Stand by me」をジョン・レノンバージョンで歌っていました。レノンが生きていたら、福島のことを何て言っただろう、とふっと思いました。
http://www.wasjp.com/
「WEFUNK」は9月1日・2日に川崎クラブチッタでライブをやるそうです。

「エソラビト」は女性ヴォーカル・菜々子さん、ギター・JOJOさん、サックス・生明(アザミ)さんの3人ユニット。サックスの生明さんは「ディストル」の代表取締役社長でもあるのですが、奈々子さんからはいつも下に見られているそうです。(^_^;)(^_^;)
せせらぐ水のように自然に心の中に流れ込んでくる音楽が魅力。
宮城県南三陸町の小学校に、CDの売り上げで購入した楽器を寄付するなど、被災地支援も継続的に行ってきました。
http://esorabito.com/
イベントの最後に「エソラビト」の「空へ」という曲を会場の全員で合唱。馴染みやすいメロディと歌詞で、かなり長い間、頭の中で鳴り響いていました。


「あの日」からもうそろそろ1年半。福島については、さすがに「放射能がうつる」といったいわれのない差別は最近耳にしませんが、かわって無関心な人が増えているようにも思えます。
しかし、特に関東の人間にとって、福島のことを他人事と思うのは、やはりダメだと思うのです。

自分の問題としてとらえ、自分のやれることをやっていく。それがすぐに問題解決につながらないにしても、やはりやっていかなければならない。
といって、重苦しくなってばかりいる必要はない。音楽をやって、観客を楽しませて、しかも大きな支援をしている、こんな活動もある。長続きする支援は、こういう形も「あり」だ。

そんなことを感じたイベントでした。

「前を見ないと、福島は戻ってこない」
避難された方の言葉が、強く響いています。
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福島県南会津「息吹〜南山義民喜四郎伝」越谷公演

2012/08/13 22:30
『わしは今、一点の曇りもなく、微塵も後悔などしてはおらぬ。

この地で生まれ、この地で過ごし、この地で果てる。それが我らの、ささやかな望みじゃ。
家族を愛し、仲間を信じ、このふるさとで栄える。そんな当たり前の夢をかなえることも出来ぬ世など、あってはならぬ。

南山に生きる、南会津の民よ。たとえこの身は朽ち果てようとも、我らが想いを忘れてはくれるな。

泣くな、泣くな村の民よ。
この先何が起ころうとも、我らの魂は、時をかける息吹となって、いつでも、どんな時でも、この福島に、新しい風を吹かせてくれよう。
今何をなすべきか、魂の声を聞け。天の声を聞け。
我らが道は、我らの意志で、切り開くのじゃ。』

処刑される直前の、義民・喜四郎の台詞です。


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「息吹〜南山義民喜四郎伝」、南会津の子供たちが演じる舞台、12日、越谷で再演されました。
時は今から300年ほど前、1720(享保5)年。江戸時代中期、将軍徳川吉宗の頃。南山御蔵入領(現在の南会津)は幕府直轄領でしたが、幕府財政悪化の影響で年貢取り立ては厳しさを増し、農民たちは「座して死を待つ」状態に追い込まれていました。このため農民の代表者が江戸に赴き、幕府に直接その窮状を訴えます。この直訴というやり方は当時「御法度」であり、結局代表者6名は斬首、獄門とされてしまいます。(この他、江戸で牢死した者も9名。)
しかし農民たちの要求は幕府も全く無視することはできず、南山を幕府直轄領から会津藩への預け支配に切り替えることで、その訴えを認めました。処刑された喜四郎ら6名は、「義民」として南会津の人々の間に語り継がれることとなります。

この「南山御蔵入騒動」という実際にあった事件をもとに創られたのが「息吹〜南山義民喜四郎伝」です。


主人公の喜四郎は、高潔で意志の強い男ですが、平凡な若い農民でした。妻との間に娘があり、家族を心から愛していました。その親友でやはり「義民」となる儀右衛門も同様で、息子が生まれ、その成長を楽しみにしていました。
しかし幕府から派遣された代官の苛政はひどくなるばかり。このままでは南山の多くの農民が犠牲になってしまうと危機感をつのらせた喜四郎は、御法度と知りつつ、その身を捨てて、代表者に加わり幕府に直訴することを決意します。
喜四郎たちが幕府と交渉している間に、代官所は地元に残った農民たちに激しい切り崩しを行います。地元との連絡のため南会津に戻った喜四郎は、その地で逮捕され処刑されることとなります。その時の言葉が、冒頭のものです。

台詞の中に「福島」という言葉があるのは確かに不自然ではあります。江戸時代にはそもそも「福島県」という概念はあり得ません。
しかしその不自然な「福島」という一言を入れることで、この長い台詞全体が、江戸時代の義民の最期の言葉というだけでなく、生々しく現代に(というよりまさに現在に)あてはまる言葉となってきます。
「今何をなすべきか、魂の声を聞け。」

(なおこの台詞は、会場で購入した今年3月25日の沖縄公演DVDからおこしました。越谷公演での喜四郎の台詞もこれと大差なかったと記憶しています。特に「福島」の一言ははっきり聞き取れました。)


驚いたのはこの舞台、前日に会ったばかりの子供たちが演じていたことです。
「チーム息吹」という、南会津の小学生から高校生までの子供たちを中心にするのですが、特別出演として北海道恵庭市の中高生、大阪府狭山市の小学生のグループが参加、他に会津の和太鼓保存会の高校生3名、福島から避難して沖縄に在住している中学生が1名加わっています。もちろん、それぞれの場所で練習を積み連絡も取り合っていたのでしょうが、一堂に会したのは公演前日だったそうです。

舞台は「現代版組踊」という、いってみれば沖縄版ミュージカルです。沖縄の伝統芸能「組踊」を、演出家の平田大一さんが現代風にアレンジしたもので、当初は沖縄で演じられていましたが、現在は福島県でも演じられています。
いわばミュージカルですから、全体の息が合わないと成り立たないのですが、大人の劇団さながらの観る者を引き込む舞台でした。被災地の子供たちが演じるチャリティ公演ということはしばらく忘れて、真剣に観ていました。
時々、シーンの合間などに「全国各地がら参加しているとパンフに書いてあったけれど、合同練習は大変だったろうな」と思っていましたので、最後に事務局の方(?)が「昨日会ったばかり」と言われた時には信じられない思いでした。(正直、今でも信じられません。)

「昨日会ったばかりの子供たちが、これだけの舞台を作り上げるのです。我々大人にも、もっとできることがあるのではないでしょうか。」

事務局の方の言葉が、喜四郎の台詞とともに、耳に残っています。


「息吹〜南山義民喜四郎伝」は、次回、11月24日(土)、南会津で公演されるそうです。詳細は未定とのことですが、後日コチラのホームページで発表されるそうです。
http://www.minamiaizu.jp/ibuki.html

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相馬野馬追 〜復興への心意気〜

2012/07/31 23:52
武士の心意気を現代に伝える伝統行事。

昨年は福島第一原子力発電所事故の影響で規模を大幅に縮小。

今年は2年ぶりに元の規模で開催。復興への決意を示す祭となりました。

そして猛暑。見る側にも「武士の心意気」が必要でした。


「相馬野馬追」。
起源をさかのぼれば、1000年以上前、平将門が軍事訓練のために行ったのが始まりと言われています。その系統にあたる相馬氏が1323年、奥州・行方(ナメカタ・現在の南相馬市)に移り、この地でも野馬追を行ったとされます。
相馬氏はこの時から幕末まで同じ領地を治めるのですが、戦国時代を乗り越え、江戸幕府による国替えを免れて所領を全うした例は非常に珍しく、日本全国でも3例しかないそうです。
しかし相馬氏はそれほど大きな勢力だった訳ではありません。むしろ強大な大名に周囲を囲まれ、何度も危機にさらされてきました。それを乗り越えてこられた大きな要因の一つに、「武士道」が徹底され日頃から武士たちが鍛錬を怠らなかったことが挙げられます。この「武士道」の現れが、「野馬追」なのです。



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JR常磐線「原ノ町」駅を降りると、いきなり馬が…。
というか、この方、原発事故の時に被災地の惨状を訴えた、南相馬市の桜井市長…!
後で写真を確認して驚きました。いきなり凄い人に出くわしていたようです。


「野馬追」の行事は3日間にわたって行われるのですが、私が見たのは2日目の「本祭り」。騎馬武者が祭場地に向かう「お行列」、祭場地での「甲冑競馬」、そして「神旗争奪戦」と、主に3つの行事が開催されます。

原ノ町駅から祭場地までは約2q、歩くと30分くらいかかるとのことでしたが、「お行列」は沿道のどこで見てもかまわないようなので、駅前の案内の方に頂いた地図を頼りにその道へ。送迎バスもあったのですが、歩いてしまいました。ここまでなら駅から15分くらいでした。

待っているとやがて、堂々とした騎馬武者たちの行列が。そんなに広くない普通の道なので、手を伸ばせば届きそうなくらいの目の前を馬が次々通り過ぎます。



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それぞれ、先祖伝来の甲冑と旗差物を着けての行軍です。


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たまに、馬と目が合ったり…。


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数は少ないですが、女性や子供の乗り手もいました。


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時々どこかで口上を述べることがあり、そういう時は「お行列」全体が止まります。


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同じ馬でも大人しいものからかなり気性の荒いものまで、様々でした。乗り手のいうことをなかなか聞こうとしないのもいました。


「お行列」は沿道で見ている分には特に規制はなく、歩道からカメラを向けても注意はされませんでした。でもフラッシュをたくとか撮影のために車道に出るとか、馬を刺激することは決してしないように、と何度もアナウンスがありました。
馬って、間近で見るとかなり大きく、文字通り「馬力」がありそうです。もし暴れ出したらただではすみません。

それと、「お行列」は相馬の殿様の行列なので、前を横切ったり2階から見たりするのは大変な失礼になるのだそうです。一度、「行列を、横切るな〜〜!戻れ〜〜!」と血相変えて怒鳴りながら前の方に走っていく若武者がいました。
観光客といえども、地元の人が大切にしている伝統行事で失礼なことをしてはいけないですね。


騎馬武者たちは、もちろん普段は一般の方なのですが、甲冑をつけ馬に乗ると、お侍さんになりきる人が多かったようです。私の近くに地域の世話役らしい方がいて、通っていく騎馬武者に紙コップで水を振る舞っていたのですが、コップを受け取ると素に戻って「あ、すいません」という人もいれば、完全になりきって「かたじけない、色々世話になる」と侍言葉で礼を言う人もいました。



さて、「お行列」が過ぎると、人の波に乗るようにして祭場地へ。ゆっくり歩いても時間的には余裕でした。

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相馬民謡の披露が終わると、いよいよ「甲冑競馬」。

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武士の意地と意地とがぶつかり合う競走。大差がついてしまう場合もありましたが、中にはそれこそ「ハナ差」くらいの接戦になることも。
公営競馬ではないのでスタートで呼吸が合わなかったり、馬が途中で止まってしまったりと色々ハプニングはありましたが、見事な腕前を見せる騎馬武者が多く、観客を沸かせていました。


そして呼び物の「神旗争奪戦」

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昨年は原発事故の影響で行われず、2年ぶりの開催となりました。
花火の中に入れられた「御神旗」が上空約150mに打ち上げられ、それが降りてくる所を騎馬武者たちが奪い合うという勇壮な行事。風の流れを読み、神旗の行方を見定め、いち早く降りてくる所に駆けつけて、馬を走らせる鞭で取るのだそうですが、いくつものことを同時にしなければならないため、総合的で高い乗馬技術が必要とされます。
このため神旗を取ることは大変な名誉とされるそうです。

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奪い取った神旗を手にする騎馬武者です。
「さあ、神旗を取ったのは、どこの若武者か?!」と場内アナウンスで流れ、「○○郷、○○武者!!」と自分の名前が呼ばれたら、それは気が高ぶることでしょう。
神旗は全部で40本打ち上げられます。中には1人で3本も取った人もいるとのこと。審判役のお侍さんもいて誰が取ったか判定し、場合によっては2人で同時に取ったとされることもあるそうです。


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「神旗争奪戦」後の騎馬武者たち。イケメン騎馬武者の笑顔がいいです。


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女性の騎馬武者.。「凜とする」とはこういうだ、と教えられているような気がしました。


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子供の騎馬武者。この身体で、あの激しい「神旗争奪戦」に参加していたのでしょうか。炎天下の中、鎧を着けて長時間騎乗しているだけで、頑丈な大人の男であってもかなり大変なはず。相馬の末裔の子供はなんて強靱なんだ、と思わずにいられませんでした。



にしても、とにかく暑いっっっ!!「お行列」は午前中だったし、沿道はそれなりに日陰もあったからまだよかったのですが、祭場地の観覧席は真正面から直射日光が当たって、まさに猛暑でした。どのくらい暑かったかというと、水分補給のためバッグに入れておいたミネラルウォーターが、完全に「白湯」になるくらいでした。水にして正解でした。下手にジュースなんかにしていたら腐ってました。
この暑さで熱中症になり救急搬送される人が続出したとメディアでも報じられていました。私が見える範囲でも1人、倒れて担架で運ばれていました。暑さに耐えきれず「神旗争奪戦」の途中くらいから引き上げる観光客が続出。「争奪戦」の後に「お上がり」といって、御神輿が神社に戻る儀式があるのですが、そこまで見た人はあまりいないようでした。私はといえば、幸か不幸か貧乏で、南相馬までの交通費のためにアパートのエアコンのコンセントを引っこ抜いてしまったため暑さに耐性がついたらしく、「空いてきたから前に行って見ようか」という感覚。「お上がり」まで祭場地で見ていました。

しかしそれでも、「相馬野馬追」を祭場地で見ようと思えば、「直射日光が当たって非常に暑い」ことを念頭に置いての対策が必須だとも思いました。
まず「白装束」は必要です。Tシャツ、白の無地に近いものにして大正解でした。地が白でも黒っぽい大きなロゴが入っていたりするとそこだけ熱を吸収してしまうので注意が必要です。ズボンもできるだけ白っぽいものの方がいいでしょう。ジーンズをはいていったのはちょっと失敗でした。が、それよりも大失敗だったのが靴!黒のウォーキングシューズをはいていったおかげで、足が焼けるように熱い!!それとバッグ。リュックを持って行ったのですが、背中の部分が黒で、ここが熱を吸収してしまい、水がお湯になってしまいました。靴は白の運動靴にすべきだった、それとバッグがすっぽり入るような白っぽい大きな袋を持って行けばよかった、と反省しました。
白っぽい帽子か麦わら帽も、持って行けばよかったです。タオルで代用しましたが、覆いきれない部分がかなり熱くなりました。
こんな具合ですから、飲食物の持ち込みにも充分注意が必要です。私の場合、仙台のコンビニでミネラルウォーターとゼリー状のいわゆる「宇宙食」を買い込んで行ったのですが、これは大正解でした。祭場地内や周辺には飲食のための施設が充分ではなく、主催者側も飲食物は各自用意するように勧めていますが、可能であればクーラーボックスを準備するなどの暑さ対策は必要でしょう。
それと、女性で日傘を広げる人が大勢いましたが、これが後ろの人の視界を遮って迷惑になっている、と何度も場内アナウンスで注意されていました。日焼け止めでは防ぎ切れそうにない直射日光だったので気持ちはわかりますが、日傘を差すのなら姿勢を低くするなどの配慮をすればいいのに、と思いました。


そもそもこの「相馬野馬追」、9時30分に「お行列」が出発し11時頃に祭場地到着、主催者挨拶などセレモニーの後、12時から「甲冑競馬」、その後すぐ1時から呼び物の「神旗争奪戦」で、終了はおおむね2時30分前後。炎天下であることを考えれば、観光客にとって決して快適に観覧できる行事ではありません。

しかし、だからといって、観光客のために時間をずらすようなことは決してすべきではないとも思います。主催者もそんなことは考えないでしょうが、一見物人に過ぎない私でも、観光客の一部から不満が出てもそれに流されてはいけない、と感じました。

相馬氏は小大名に過ぎませんでしたが、戦国時代は大勢力に囲まれ、江戸時代は西軍寄りの外様大名として幕府に睨まれながら、たゆみない鍛錬と強い結束で度重なる危機を乗り切ってきました。その相馬武士の心意気を今に伝えるのが「相馬野馬追」なのだと、今回初めて見ましたが、そう受け止めています。

だからこそ、行って見る価値がある。だからこそ、観光向けの行事にしてはいけない。と思うのです。

むしろ見る側の方が、相馬武士の心意気と同じだけは無理にしても、それを受け止めるくらいの気概を持たないといけない。そうでなければ、家でテレビで見ていても同じで、わざわざ祭場地まで行って見る意味はないんじゃないだろうか。言葉がきつすぎるかもしれませんが、甲冑を着けて走り回る騎馬武者を前にして、座って見ているだけで音を上げてしまう人が大勢いるのを見て、そんなふうに考えざるを得ませんでした。




ところで、相馬氏は何度も危機を乗り越えたと書いてきましたが、今、この地域がかつてない危機を迎えていることはいうまでもありません。
もともと観光地ではなく、むしろ近年はベッドタウンとしての機能が高まっていたそうです。確かに、仙台から常磐線に乗ればそれほどの距離ではなく、通勤も充分可能でしょう。が、その常磐線、亘理駅と相馬駅の間が津波の影響で未だに普通、バスで代行運転していますが内陸をかなり迂回しながら行くため時間を食ってしまい、接続の問題もあって、結局仙台まで2時間半近くかかってしまいます。一方常磐線の南側はどうかといえば、原ノ町駅から先には行けません。原発事故の警戒区域に入ってしまうからです。
つまり他の地域からのアクセスが非常に悪くなっているのです。
また車窓からは田畑も見えましたが、農業も、現状では難しいと考えざるを得ません。
この地域の経済を復興させることは、大変な難題のように見えました。


それでも、南相馬の人たちは、先祖から受け継いだ強靱な精神で、この困難に立ち向かっていくことでしょう。
そのことをどう受け止めるのか。何をしたら助太刀になるのか。
「相馬野馬追」を見に行った者が最も真剣に考えなければならないのはまさにこのことだ、と思えてなりませんでした。

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福島産直市@秋葉原駅

2012/07/13 02:13
「福島←→東京キャンペーン」の一環ということで、秋葉原駅構内(1階コンコース)で「福島産直市」をやっています。

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なかなか盛況。

私のオススメはコレ。

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「ゆべし」なのですが、「ヤマサ商店」という南会津郡の手打ちそば屋さんが作っているもの。
http://www.yumekaidou.jp/ (「ヤマサ商店」サイト。)
手作りで数があまり出ないので、葛西にある福島アンテナショップ「ふくしま市場」に行っても品切れのことが多いです。この機会をお見逃しなく!

秋葉原の「福島産直市」は13日まで、11:00〜19:00です。お仕事帰りにぜひお立ち寄りください。


なお、7月25日(水)〜8月21日(火)の期間、上野駅グランドコンコース・地産品ショップ「のもの」にて、「福島のもの」が開催されます。こちらは期間が長いですから、上野にお越しの際はぜひ。





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