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zoom RSS 三宅洋平さんのこと

<<   作成日時 : 2013/07/20 02:17   >>

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日付変わって、明日が投票日となった参院選。

ミュージシャンの三宅洋平さんという方が「緑の党」の比例代表候補として立候補していて、音楽界で話題になっています。私の知っている方でも、支持を表明している方が何人かいらっしゃいます。

三宅さんのオフィシャルサイトはコチラ。
https://miyake-yohei.jp/

応援サイトです。この方がわかりやすいかもしれません。
http://ym.aso3.jp/


ご自身で「選挙フェス」と呼んでいる選挙運動、各地で行われています。

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14日に渋谷で行われた「選挙フェス」で、応援に来られた喜納昌吉さん。「ハイサイおじさん」「花」で知られる、沖縄の代表的アーティストです。
喜納さんが「♪雨よ 降れ」と歌うと、本当にゲリラ豪雨が降ってきたため、残念ながら三宅さん本人の写真は撮れませんでした。



三宅さんは9つの政策を主張しておられます。全てに言及はできませんが、いくつか意見を言っておきたいものがあります。

まず最初に挙がっている「文化を最大の輸出品に」。これについては大いに賛成、というより、どちらかというと私の持論です。
日本では全く無名のミュージシャンが、海外の舞台で大喝采を浴びることが多くなっています。

日本人は残念ながら価値基準を人任せにする人が多く、テレビに出るか出ないかで「いい音楽」かどうかを判断する傾向が強いと言わざるを得ません。そのためあまり気づかれていませんが、実はものすごく面白い音楽をやっているアーティストはたくさんいます。
資源の少ない日本、これまでは工業製品を主な輸出品としてきており、それは変わることはないでしょう。しかし工業製品の市場は各国との激しい競争にさらされており、今後勝ち続けられる保証などありません。
ならばリスク分散という意味でも、日本にしかできない文化・芸術を「輸出品」とすることは、真剣に検討されるべきでしょう。


三宅さんの主要政策は、何といっても原発廃止であろうと思われます。
私自身は、この問題、「綱渡り」のようなものだと思っています。
原発が「安全かどうか」。この議論はもう、むしろ時間の無駄でしょう。見れば分かることです。ならば「要らないかどうか」。これについては大いに議論されていいと思います。
しかし現時点で「要らない」と言い切れるものでしょうか。精密機械工業の中には、一瞬でも電力供給が止まると生産システムが滅茶苦茶になってしまうものも多いといいます。この猛暑の中、生鮮食品を扱う業者などは、1時間も電気が止まったら商品が全部ダメになってしまい、大損害でしょう。そもそも現代社会、特に大都市はその機能を電力に依存しすぎており、大規模停電が起きればどれだけ損害が出るか予想もつきません。たぶん、首をくくらなければならない人も出てくるでしょう。
そういう被害の責任は取る。首をくくる人がいたなら、その人の恨みも引き受ける。それでも、原発は子孫のため、この国のため、人類、地球のために有害だから廃止すべき、という主張なら、それは一貫していると思います。しかしそこに触れずに原発廃止を主張しても、説得力はあまり感じません。

ちなみに私は臆病者なので、恨みを引き受けるなどと言う勇気はとてもありません。大規模停電のリスクに触れないまま、原発廃止を声高に叫ぶ気にもなれません。
しかし原発が「危ない」ことは事実です。もう少しでこの国が転覆する所でしたし、今だって皆が思うほど安定していないというのは、おそらく本当でしょう。
「危ない」と「要らない」はイコールにはなりません。「危ない」ならばどうやって「要らない」ものにするか、という議論(と実行)の方が、より重要でしょう。

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せめて、この程度のことはみんなでやってほしいものです。
商業施設など、空調がどうしても必要な場所はあります。ならば個人での空調使用は、少なくとも健康な人なら止めた方がいいでしょう。
これが当たり前になれば、事態は変わってくるでしょう。「無理なく節電」なんて茶番にしか響きません。
電力を使うのは何と言っても熱源、中でも「エアコン」です。人間(特に大都市居住者)が、身体を環境に合わせることをやめ、環境の方を自分に快適なように改変しようとしたこと、これが福島第一原子力発電所事故の根本原因だと、私は思っています。
「反原発」「脱原発」「卒原発」と色々あるようですが、このことにほとんど目を向けず、政府や東電ばかり標的にするという、『ナウシカ』以降の世代としてはどうも受容しがたい傾向が強いといわざるを得ません。三宅さんの話も聞きましたが、この枠から大きく踏み出すものがあまり感じられませんでした。


もうひとつ、気がかりなことがあります。
ミュージシャンが政治に関わり、インパクトを与えようとする試みはジョン・レノン以来何度も行われてきました。ビートルズが「All You Need is Love」と歌ってから、もう半世紀近く。レノンが訴えた「愛と平和」はいっこうに実現する気配すらない。三宅さん自身も戦争反対を訴えていますが、半世紀前、今のおじいさん・おばあさんの世代から歴代の「若者」達が訴えてきて実現できなかったことを、また繰り返しているようです。
原因を挙げればきりがないともいえそうですが、端的に言うなら、音楽に関わる人たちは、人間という生き物には抜きがたい悪魔的性質があることを軽視しがち、ということが大きいのではないでしょうか。
人は人を憎み、蔑み、嫉み、そして人と争う。どんな聖人君子でもその心を持っていない人はいない。努力して抑え込んでいる人もいるけれども、大抵の人は抑えきれておらず、家庭から国家同士まで、争いごとは絶えることがない。
もちろんそれでは、果てしない争いの末にお互いの全てが灰燼に帰しかねないから、何とか知恵を絞って、せめて暴力で物事を解決しないように、色々仕組みを作っている。「平和」というものは決して当たり前ではなく、争いという大海に何とか浮かんでいる小さなボロ船のようなものといえるかもしれません。
平和は当たり前の状態で、それを崩そうとするのは一部の「悪い」人間、そいつらをやっつけさえすれば平和は守られる、というのはゲームの世界の話です。実際は、平和というのは何とか保たれていれば幸運で、いつでもどこからでも崩れやすいものです。
ジョン・レノンはいうまでもなく偉大なアーティストですが、その運動は出発点で大きな見誤りをしており、それがかなり長い間引き継がれてきたように私には思えます。

三宅さんご自身は、こうした善悪二元論的な考え方には反対されているようです。しかし活動全体として見た時、それがどこまで浸透しているか、疑問に思えました。
まして、三宅さんも基本的に、人間はわかり合えると信じていらっしゃるようです。人を信じるのはいいことです。しかし、根本的に信じられない人間も多い、それはどこにでもいる、ということを前提として考えないと、政治の世界で活動し、平和を構築しようとする上で、大きな懸念材料になると思っています。


しかし期待もあります。話の中で三宅さんが、「思いをぶつけてもどうにもならない、思いを伝えることが大事だ」と言っていたことです。
他国のことは知りませんが、この国では長い間、大声を出して相手を罵倒し黙らせれば勝ち、それができる人間が偉い、という、極めて野蛮な感覚が、政治や言論の世界でも、一般の社会でも支配的でした。罵倒は優越感につながりますから、この感覚は簡単にはなくならないでしょう。しかし、政党同士の不毛の罵りあいばかり見せられ、政治というものに関心をそもそも持たなかった人たちが、三宅さんの言う「チャランケ」(アイヌの言葉で部族間の話し合いの意)に引きつけられる可能性はあります。


良い意味でも悪い意味でも、政治家としては未知数だということはいえるでしょう。
しかし、その主張の核の部分が、「自分をよろしく」ではなく「投票に行こう」であることは注目していいでしょう。これまで得票で勝負を決するものだった「選挙戦」を、どう考えどう選び、自分はどうするのかを有権者に考えさせるものとしていく契機に、この立候補がなるのかもしれません。

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