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zoom RSS 相馬野馬追 2013

<<   作成日時 : 2013/08/02 03:05  

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「相馬野馬追」。
福島県浜通り北部、かつて相馬中村藩だった地域の伝統行事で、戦国時代さながらの騎馬武者の姿が見られることでよく知られています。国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
古くは平将門が軍事訓練として下総国で行ったのがはじめとされ、将門の子孫にあたる相馬氏が1323年、奥州に移った際にこの地にもたらされ、以来700年近く、連綿と受け継がれてきました。現在の形になったのは明治以降のことだそうです。

一昨年の東日本大震災・大津波、そして福島第一原子力発電所事故により、この地域は甚大な被害を受けました。未だに復興の道筋さえ見えていない所も多いのが現状です。
しかし震災の年の2011年、規模は大幅に縮小したものの「野馬追」は開催され、昨年からはほぼ以前の通りの規模で開催されています。

3日間にわたって開催される「野馬追」。今年は7月27日(土)、28日(日)、29日(月)に行われました。私は、28日の「本祭」を見に行ってきました。呼び物の「お行列」「甲冑競馬」「神旗争奪戦」が行われる日です。


「お行列」とは、集結した騎馬武者が、その後の行事を行う雲雀ヶ原祭場地へ繰り出す列のこと。騎馬武者が沿道から間近に見られるとあって、呼び物の一つとなっています。
ただ「相馬野馬追」はそれ自体が神事で、「お行列」も殿様が祭場地に向かう神聖なものとされているため、前を横切ったり、建物の2階から見下ろすようなことをすると大変な失礼にあたるとされています。また沿道から普通にカメラを向ける分には特に注意されませんが、馬の前に出たり、フラッシュをたいたりすると馬が興奮して暴れ出す可能性があって危険なので、絶対にしないようにとアナウンスされます。


出発の知らせから約10分。いよいよ「お行列」が通ります。

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「先頭御先乗」の騎馬武者。400騎を越える軍勢の先頭。凄いプレッシャーだったでしょうが、それを感じさせず、お役目を果たしていました。

堂々とした騎馬武者たちが続きます。
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凜々しい若武者。
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「相馬野馬追」は男の祭りとして知られますが、20歳以下・未婚であれば女性の騎馬武者も参加できます。
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子供の武者も。最年少は5歳なのだそうです。
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この写真、ズームアップしていません。馬がこんな目の前に来ることが何度かありました。
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貫禄ある武者っぷり。
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こちらは荒武者ですね。
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基本的には歩いて進む「お行列」ですが、前後の連絡などのため、早駆けする武者もいます。
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ビシッと決まってますね。
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少女武者も。
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旧相馬中村藩は、北郷・宇多郷・中郷・小高郷・標葉(シネハ)郷の5つの「郷」に分けられていました。このうち標葉郷は今の双葉町・大熊町・浪江町にあたります。原発事故で今も避難を余儀なくされている地域で、多くの武者は避難先から駆けつけての参加です。その標葉郷の武者達がやってきました。
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標葉郷の少女武者。
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標葉郷、堂々の歩み。
さすがに参加騎馬数は少なかったのですが、皆、見事な武者っぷりでした。
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総大将・相馬陽胤(キヨタネ)公です。相馬家当主・相馬和胤(カズタネ)公の御次男。まだ若い総大将です。
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少年少女の武者達。
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馬が滑らないよう、マンホールが覆われていました。こういう地味な作業が勇壮な「相馬野馬追」を支えています。
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「お行列」はやがて、雲雀ヶ原祭場地に到達。見物客もそちらに移動します。

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一連の行事に先立ち、相馬の代表的な民謡「相馬流れ山踊り」が披露されました。
「流れ山」とは、千葉県の流山のこと。相馬家の先祖が東北に来る前、下総国・流山を領地としていたことに由来するのだそうです。踊り手は各郷が輪番で出しています。


そしていよいよ、甲冑競馬が始まります。
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今年は席の位置の関係であまり良い写真が撮れなかったのですが、雰囲気だけでもお伝えできればと思います。それぞれの武者が背負っているのは先祖伝来の旗差物。これが風を切る音が、野馬追の醍醐味ともいわれます。

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これは「マスコミが書かない(笑)相馬野馬追」。乗り手が落馬して放れ馬となった馬が競馬コースを逆走。全力で走る馬をなかなか止めることができず、1周1000mのコースを、たぶん3〜4周していました。もちろん競技は中断。この後、軍師(競技を取り仕切る役目の人)から各武者に、「腹帯をしっかり締めて競技に出るように!」とお叱りのアナウンスが…。
力強い一方で非常に繊細な生き物である馬が400頭以上集まる行事。運営と安全確保は並大抵のことではありません。


甲冑競馬の後は、最大の呼び物、「神旗争奪戦」。
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花火で空中に打ち上げられる神社の御神旗を騎馬武者が奪い合う競技です。
神旗の行方を目で追いながら一早く落下点に馬を走らせ、空から降りてくる神旗を他の武者と争いながら乗馬用の鞭で取るという、総合的な乗馬技術が求められる競技で、神旗を取ることは大変な名誉とされています。

神旗を取った武者は、祭場地正面にある本陣山で褒美を受け取るのですが、そこに行くためには観覧席を突っ切るように作られた「羊腸(ヨウチョウ)の坂」を登らなければなりません。この坂、長くはないのですが急な上に「羊腸」の名の通り曲がりくねっていて、これを駆け上がるのにもかなりの技術を要します。
坂を駆け上がる武者たち。
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さて、神旗争奪戦が終わると、騎馬武者たちは一度、それぞれ「羊腸の坂」を登り、そして降りてきます。
3日目の「野馬懸」の神事が残っているとはいえ、「本祭」を終えた武者たちはリラックスムード。
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麗しき女武者には、観客の若者から「こっち向いて〜」などと声がかかっていました。
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この子、いいキャラしてました。
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この雲雀ヶ原祭場地、震災の年には原発避難区域に入っていて、使えなかったのだそうです。ようやく使えるようになり、甲冑競馬や神旗争奪戦が行えるようになったのが去年。盛大な行事も原発事故で大きな影響を受けていたことを思うと、これからも無事開催を続けられるよう、願わずにはおれません。




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本祭が終わって少し時間があったので、祭場地近くにある南相馬市博物館の特別展「野馬追の今と昔」に行ってみました。
江戸時代の野馬追の様子を描いた史料などが多数展示されていましたが、印象的だったのがこれ。

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野馬追は南相馬市だけでなく、旧相馬領内の各自治体で、それぞれ独自のものも行われてきました。原発事故で今でも立ち入ることができない双葉・大熊・浪江の各町では、この伝統行事も途切れてしまったのだそうです。よく知られた「相馬野馬追」は復活しましたが、こちらは復活の目処が立っていません。

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「相馬野馬追」は勇壮な祭りで、猛々しさのみが強調されがちです。確かに元々は軍事訓練として始まった行事ですが、江戸時代からの野馬追は、藩主が神社に馬を奉納し、領内の平和と繁栄を祈る儀式としての意味合いを濃くしてきました。

「平和と繁栄を祈る」。震災からの復興も思うようには進まず、原発事故収束も先が見えない今、「相馬野馬追」に込められたこの願いは、より強く意識されなければならないでしょう。


威風堂々の「お行列」、勇猛果敢な「甲冑競馬」や「神旗争奪戦」。「戦国絵巻」ともいわれる「相馬野馬追」。しかし実は、相馬地方の平和と繁栄があって、初めて実現できるのです。
野馬追は非常に迫力ある祭りですから、見て楽しむのはもちろん地元の方も大歓迎でしょう。でもそれだけでなく、祭りに込められたこの願いを、相馬に住む方々とともにしていきたい、と思います。

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